繽B佐賀にある節電と経費削減の(株)シグマ会長 堤和之が、人との出逢いでのお話に、耳を傾けてつづった日記です。月に1〜2回更新です

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[20]2008/02/04(Mon) 20:20 丁寧語教えた派遣教師たち

丁寧語教えた派遣教師たち              

わが家は二人のカンボジア人留学生と、楽しく年末年始を過ごしました。雪を知らない彼らは天山の川内分校跡地で、強風に追われ雪が林のなかを走ってゆく風景に、大きな歓声をあげました。冷たい雪にさわって雪合戦をしておおはしゃぎしました。
雪は彼らの期待を大きく膨らましたようです。会話のなかで驚かされるのはていねい語です。ていねいな言葉で会話をつないでゆきます。「たいへん失礼ですが・・」「・・お若くみえますね」。
わたしはカンボジアのNPOに関わった一人ですが、来日以来ずっとそのことが気がかりでした。いったい誰が生徒たちにていねい語を教えたんだろうという疑問です。答えは簡単でした。
カンボジア日本友好学園の日本人派遣教師は全員が、日本語授業でていねい語を教えていたのです。ていねい語のおかげで、佐賀で彼らは一目おかれています。人間がいちだん上に見えるから不思議です。
ていねい語を話すカンボジア人を育てるのに10年のながい歳月がかかりました。派遣教師のみなさんの、異国で日本語を教える並大抵でないご苦労が実って、静かに開花しつつあることをわたしはとても嬉しく思っています。
   (大和町 七十三歳) 
2008年1月10日 佐賀新聞「ひろば」 掲載  


 


[19]2008/02/04(Mon) 20:18 特攻の若者が何ゆえ散華か

特攻の若者が何ゆえ散華か 
           
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を見ました。鹿児島県知覧町の知覧特攻基地から飛びたち、沖縄上陸を試みるアメリカ軍艦に、命もろとも体当たり。散華した十代の若き飛行士たちと、富屋食堂の鳥浜トメさんのお話です。
出撃の知らせに夕暮れのわが家を訪ねる飛行士は、垣根越しに年老いた両親の夕餉の姿をみて告げることなく去ってゆく。別の飛行士はトメさんに「明朝出撃します。僕がこれから生きる三十一年間の命をおばさんにあげます」といい、続けて「今晩、ホタルが飛んできたらそれは僕ですよ」と別れを告げる。その夜、一匹のホタルが庭を静かに舞う。
映画に外国人飛行士がでてきます。「何も外国人のお前が特攻隊になることはない」と友達が諌めるのを振りきり志願した金さん。お世話になったトメさんの前で、自分の素性をはじめて明かし、涙声で韓国のアリランを歌い出撃してゆく。
ふと私は平成十三年一月二十六日、東京の大久保駅で韓国人留学生の李さんが、人を救おうと線路へ飛び降り自らの尊い命を捧げたことを思いだしました。人のために私は命を捧げる勇気がありません。情けないことです。でも、映画を通して当時の若者が尊い命を何ゆえに散華したのかを、心から考える必要が私たちにはあります。(大和町 七十一歳)
2007年6月5日 佐賀新聞 ひろば 掲載


 


[18]2008/02/04(Mon) 20:17 アイデアが光る「昭和の町」

アイデアが光る「昭和の町」

 四月三十日の本紙で、大分県豊後高田市「昭和の町」が紹介され、昭和三十年代の炊事場の写真が載っていました。市の面積は武雄市ぐらい、人口二万六千人の日本でも小さな都市です。ボランティア・ガイドのYさんが、私たちを案内してくれました。
昭和の終わる頃、あたりは人通りも少なく寂れゆく商店街でした。戦災に遭遇していない町並みは、江戸から明治大正、そして昭和につながる由緒ある建物がいっぱい。なんとか活用したいと商工会議所のKさん(当時四十二歳)が出したアイデアが「昭和の町」構想。
昭和三十年代を復元するためお店のサッシュ戸は木戸に取り替えるなど、行政が補助金を捻出。各店が「お宝の一品」を、人目につく表に飾り、平成十三年にオープン。ところが、参加したお店はわずか七軒。観光客わずか年間二万人。これには関係者も寒々としたといいます。
あれから六年、苦心しながら努力したおかげでお店は三十八軒に、観光客は年間三十六万人へと、たいへんにぎやかな町並みになってきました。目標は年間百万万人の観光客、できたら六十万人はキープしたいと関係者の元気な声。
圧巻は昭和五十五年から値上げをしていないというT食堂のチャンポン、行列ができるほどでした。貴重な歴史と遺産をどのように活かすか、たいへん勉強になりました。 (大和町 七十一歳)
2007年5月9日 佐賀新聞 ひろば 掲載


 


[17]2008/02/04(Mon) 20:16 小学唱歌歌い大いに感動

小学唱歌歌い大いに感動

七十歳になる私が小学唱歌を大声で歌って感動したお話です。S短大のエルダーカレッジ二年生の私たちは、音楽の時間にH先生から明治、大正、昭和時代の代表的な小学唱歌を四十曲ほど学びました。そのなかの四曲は、やってみたかった手話を同時に学び身につけることができました。発声練習の三十分は、古びた喉と複式呼吸にいささか苦労しました。
明治の港、荒城の月、花。大正の紅葉、海、故郷、しゃぼん玉、七つの子、背くらべ。そして昭和の赤とんぼ、みかんの花咲く丘、とんがり帽子、四季のうた。
歌うと歌詞の一つひとつの情景が総天然色となって、父や母と幼い私が一緒に野や山、川と海を駆け巡るのです。それは大きな感動の波となり幾重にも打ちよせ私の心の汚れをきれいに流してゆきました。亡き父や母が幼い私を、育てる苦楽が手にとるように今はっきりと理解できたのです。
祖父や祖母ともなればその慈愛はさらに深く大きなものであったであろうと考えると、共感で声はかすれ熱い涙で目がかすみ歌にならないことがしばしばありました。大人も小学唱歌を大きな声で歌いましょう。    七十歳   
  2006年8月17日 佐賀新聞「ひろば」掲載


 


[16]2008/02/04(Mon) 20:15 貫通道路とイチョウ並木

貫通道路とイチョウ並木
              
佐賀市内を東西に走る貫通道路の建設計画は、一九三一(昭和六)年で、全長三・六キロメートル、車道十三メートル、歩道各三メートルという規模でした。内務省土木局技術課長・三浦七郎さん(西与賀町出身)は、図面をみて「これじゃ狭すぎる、百年先を考えるなら車道三十メートルは必要」と設計変更を迫りました。
佐賀市議会や関係者は負担金など総予算の制約から、再三上京して陳情を重ねたが、最初の計画通りで工事認可となり一九三六年、工事は見事に完成。車両通行量の少ない当時は、口うるさい人々によって色々といわれました。
あれから七十年。増加する車両通行量を処理しきれず北部バイパスに、その役割をバトンタッチ。イチョウ並木は四百七十五本、苗木から今日まで約八十年もの間、風雪や車の排煙に辛抱し立ちつくしたわけです。
このお話は私が通学するS短大エルダーカレッジで、「佐賀の植物」の授業を担当されたS先生からお聞きしました。三浦さんの先見の明、風雪と車の排煙に耐えたイチョウ並木のことなどを忘れてはなりません。     (七十歳)
2006年2月22日 佐賀新聞「ひろば」掲載


 


[12]2006/03/01(Wed) 08:20 「貫通道路」とイチョウ並木

 佐賀市内を東西に走る貫通道路の建設計画は、一九三一(昭和六)年で、全長三・六`b、車道十三b、歩道各三bという規模でした。

 内務省土木局技術課長・三浦七郎さん(西与賀町出身)は図面を見て「これじゃ狭すぎる。百年先を考えるなら車道三十bは必要」と設計変更を迫りました。

 佐賀市議会や関係者は負担金など総予算の制約から再三上京して陳情を重ねたが、最初の計画通りで工事認可になり一九三六年、工事は見事に完成。

 車両通行量の少ない当時は、口うるさい人々によっていろいろと言われました。

 あれから約七十年。増加する車両通行量を処理しきれず北部バイパスに、その役割をバトンタッチ。

 イチョウ並木は四百七十五本、苗木から今日まで約八十年もの間、風雪や車の排煙に辛抱し立ちつくしたわけです。
 
 このお話は私が通学するS短大エルダーカレッジで、「佐賀の植物」の授業を担当されたS先生からお聞きしました。

 三浦さんの先見の明、風雪と車の排煙に耐えたイチョウ並木のことなどを忘れてはなりません。

2006年2月22日(水)佐賀新聞「ひろば」に掲載されました。


 


[11]2005/10/26(Wed) 10:23 カンボジアの優秀な大学生


 佐賀のNPOが支援してカンボジア・リング村に、中高一貫校を開設してから六ヵ年がすぎました。

優秀な卒業生のなかで今年10月に十六人の大学生が誕生しました。

佐賀で里親をお願いして学費を支援していただきます。

その一人チビットくんは十歳のとき両親が離婚、母親が苦労をかさね五人の子どもを育ててきました。

姉二人は小学校中退で働き、中学生の弟と小学生の妹がいます。彼だけが奨学金で大学へ進むことになりました。

首都プノンペンから五時間かけて辺ぴなチビットくんの実家を訪ねました。

雨季の水溜りのなか靴をぬぎズボンを膝までまくって歩いてゆくと、水をかきわけながらチビットくんのお母さんが満面に笑みをうかべ、腰をかがめ両手を合わせ、私たちを出迎えてくれました。

とても貧しい小さな家でした。
そのとき、貧しかった私の少年時代が稲妻のように頭上を走りぬけました。

夕闇のせまる部屋は暗くなりました。
美味しいカンボジア料理をつくって私たちを待っていたお母さん。

チビットくんは大喜びのお母さんとツーショットに納まりました。もう大丈夫、チビットくんが親孝行してくれます。

かえり道、チビットくんは私に「お父さんとよんでいいですか」と心配そうに言いました。「いいよ」と固く握手。

父親のいない子どもの辛く寂しい苦労が身にしみました。

2005年10月25日(水) 佐賀新聞「ひろば」に掲載されました。


 


[10]2005/07/04(Mon) 15:52 互いを理解し見守る大切さ 

美しいツツジの季節がすぎ、花が枯れおちるころ私は,新枝の剪定をしました。

つづいて「来年も咲いて!」と、お礼に肥しをやりました。

そのときの話です。

数本のツツジの剪定を終えて隣をみたら、クチナシの植木が生茂っていました。

ものはついでと私は、あっというまに剪定をしてしまいました。

数日たったある日、クチナシは、つぼみがひらく直前だったことに気づきましがあとの祭です。

「ごめんなさい」と、心で詫びて、クチナシの花が来年咲くころを待つことにしました。

ところがクチナシの植木は、乱暴な剪定にもかかわらず数多くの花を咲かせてくれたのです。

みにくい傷を負いながらつぼみは、あるがままに一所懸命に花を咲かせてくれたのです。

さぞや「痛かったろ〜」と、無謀な選定を心から恥じました。

そのとき、社会問題になった青少年犯罪が花のつぼみと重なりました。

お互いの心をよく理解して見守ることができたなら、尊い人命を失う悲しい事件まで、興さずによかったのではないかと思いました。

2005年7月4日(月)佐賀新聞「ひろば」に掲載。


 


[9]2005/06/08(Wed) 14:41 カンボジアの先生がみた佐賀

海外旅行は生まれて始めてのブッティさん(男性・30)が、NPOの招待で佐賀にやってきました。

中高一貫校「カンボジア日本友好学園」高等学校教頭の彼は、幼稚園、小学校、高等学校、公共施設、企業を訪問しました。

新鮮な目でみたままの佐賀の感想を、帰国して早速メールでよこしました。

「日本人は金持ちだから、お金に困ってはいない」と思っていましたが、子どもから大人まで「お金を作るためにたいへん努力をしている」ことに大きなショックを受け、私たちへの懸命な奉仕活動を勘違いしていたと書いています。

カンボジアと日本では「ゴミ」に対しての考え方が違っていたこと。交通ルールをよく守り、自分流の生活スタイルをもち、我慢づよく謙虚で、環境を破壊しないように行動していること。

学校では先生方が生徒にとても真剣に、教科を教えていることが参考になったと書いています。

なかでも強い関心をもったのはいろいろな社会で働いている人たちが、自分の仕事に誇りをもっていることでした。

日本人はお互いを尊重しあいとても素晴らしい。

帰国した彼はさっそく四つのことを実行すると書いています。

地道な国際貢献や交流を通して、お互いの理解が進むと地球平和への道が開いてゆくのだと、彼からのメールで教えられました。

2005年6月8日(水) 佐賀新聞「ひろば」 掲載されました。


 


[8]2005/04/04(Mon) 17:28 小学校卒業式未来に光見え

「六年間に私たちは、たくさんのことを教わりました」「大切な教えを心に刻み、これからもがんばります」「「ありがとうございました」。

K小学校の五十四名の卒業式で、卒業証書を一番目に受取った卒業生の力強い決意でした。

先生がたのご苦労がふきとぶ頼もしい言葉に、私の胸は急に熱くなりました。

五〇年前の私らの卒業生は一六〇名もいました。

今の子どもは友達が少なくて、かわいそうな気がします。M校長先生は二つのお話をなさいました。

「六年間に学んだ本は君たちの背丈をこえます」「希望の扉は、必ず開きます」と、ノーベル化学賞の田中耕一さんにふれ、小学生で学んだ科学がきっかけだったことを紹介され、真剣なまなざしの卒業生を励ましました。

二つ目は「ふるさとの文化と伝統に誇りをもちなさい」と、生まれ育った土地への郷土愛を訴えました。

相手の目をみて丁寧なお辞儀。元気な返事とこれからの決意。

新しい時代を背負うにふさわしい気持ちが、私たちに伝わり嬉しくなりました。

最後に「お父さん、お母さん、六年間ほんとうにありがとうございました」と、別の卒業生が両親に礼をのべたのが私は、とても印象的で感動しました。

平成17年3月28日 佐賀新聞「ひろば」に掲載されました。 


 


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